辻村 孝之 Takayuki Tsujimura
モットー:
「予防に勝る治療なし」
「知識は身を守る」
「当たり前より、有り難い」
保有免許・資格2025.3.1現在
- 理学療法士
- TOGU(感覚運動トレーニング)イントラクター
- シダスインソール認定ハイテクニシャン
- 日本ノルディックウォーク連盟 公認指導員
- 健康経営エキスパートアドバイザー
- 作業管理士
- 腰痛予防労働衛生教育インストラクター
所属 2025.3.1現在
- PHYSIO 代表
- 合同会社PROWELL 代表社員
- 一般社団法人 日本整形内科学研究会 理事
- 滋賀県ノルディックウォーク連盟 理事
- 滋賀医科大学附属病院 学際的痛み治療センター 非常勤講師
- 滋賀県産業保健総合支援センター 専門相談員
受賞歴
・日本理学療法士協会 優秀賞 2001年
学会・執筆活動
・雑誌ペインクリニック ケーススタディー投稿
・理学療法ジャーナル 起業特集寄稿
・運動器リハビリテーションに生かすFasciaの見方捉え方(文光堂)
・月刊治療 腰痛のプライマリケア(南山堂)
・第1回日本ファシア会議シンポジスト
・第2回日本ファシア会議シンポジスト
・第3回日本ファシア会議 座長
・日本整形内科学研究会 ウェビナー
私はリハビリ医療インフラが十分でなかった2000年代初頭に、重症化するまで手厚い医療が受けられない患者さんを多く拝見し、予防の重要性、早期のケアの重要性を実感しました。そこで、少しでもそのような方のお力になりたいと、一念発起してこのフィジオを2006年に始めました。
その後、加圧トレーナーの勉強やインソールの勉強もいたしました。フィジオを運営してからは、非常勤で滋賀医大附属病院の学際的痛み治療センターで常勤したり、トリガーポイントを研究していた日本筋膜性疼痛研究会の役員をするなどして、現在は日本整形内科学研究会の理事、関西ブロック副部長をさせていただきました。
【理学療法士を目指した理由】
工業高校を卒業後、阪神淡路大震災の年に兵庫県にうつり、サラリーマンを経験したのち19歳で大病を患い2週間以上寝返りも許されず車いすも経験しました。その経験から「生かされた」という気持ちになり、人の役に立てるようにと医療の道を志し、2001年に理学療法士免許を取得することができました。
【理学療法士の学校から就職まで】
全国大会常連の高校で部活ばかりしていた私でしたが、理学療法士養成校時代は、教員に「そろそろ帰ろうよー」とせかされるまで図書館で自習しするという学生でした。(勉強についていくのに必死だったんです)
そんな雑草魂あふれる学生でしたが、卒業式では、4000人あまりの全国の学生の中でも成績が優秀なほうだったということで日本理学療法士協会から「優秀賞」をいただきました。
そんな学生生活でしたが、実は、学校生活の人間関係で苦しみました。心のエネルギーがそがれる辛い経験は、きっと今にも活かせていると思います。
【臨床に出てから、卒後教育】
卒業当時、長浜市に理学療法士は少なく、重症な人を除いて十分な医学的リハビリテーションが受けられる環境ではありませんでした。琵琶湖大好き、地元愛の強い私は、地域の+1になれるとおもい長浜に戻ることを決めました。
そして総合病院や小児科病院でインターンを経験させてもらい、医療福祉の複合型施設に6年勤務。筋骨格系疾患の治療から車いすづくり、生活の支援に至るまで幅広いことを経験しました。上級障碍者ケアマネージャー講習も受けました。
【自分の限界を高めないと!】
さて、患者さんの回復が停滞したとき、業界では「プラトー」という言葉を使います。安定した状態、つまりこれ以上良くならないということです。働き始めて1年が経ち、東京であった有名理学療法士のセミナーに参加すると、プラトーだとおもっていたある患者さんのなかなか取れない痛みが緩和し、自分の知識や技術だったのだと痛感したのです。
そこからは、毎年70万円の自己予算をくんで卒後教育に投資しながら「治せる理学療法士になりたい」と日本、アメリカ、オーストラリアの有名理学療法士から学び休日返上で自己を高める生活を何年も続けました。
実家暮らしのおかげで食べることに気を遣わずに済みました。両親に感謝しております。
そんな時間を過ごしていると、もっと早く出会って関われていたら、こんな状態になるまでに予防できただろうと思う患者さんが少なくないことに気づきました。当時の長浜には外来対応できる理学療法士のいるクリニックがほとんどなく、多くの方が手術するまでは電気治療か服薬で経過をみてきたような状況だったのです。パン屋さんをしていたけれど転倒してから四肢麻痺になり電動車いすでしか移動できなくなったという男性も、それ以前には同じようなけん引治療による経過観察で過ごされていました。
そしてオーストラリアに留学しようか悩んでいた私は、帰国したのちに働ける場所は地元にはないだろうということと、「気づいたものの責任」と思い、30歳で独立(2006年)し、地域貢献できればと予防的な活動を保険外で行う個人事業を開始しました。留学費用と事業失敗の費用を天秤にかけ、この年なら失敗してもやり直せると言い聞かせたのでした笑。
【自営をはじめてから現在まで】
20年以上前ですからホームページビルダーというソフトを使いました。すると驚くことにヨーロッパやアメリカなどに住む日本人の方から何件もメールで問い合わせが来たました。
「日本で何をしてもらっても良くならなかった○○の痛みが、○国にきて理学療法士(フィジオ)からマニュアルセラピーを受けたら驚くほど回復して、日本に残している家族や友人にもそのような理学療法士を紹介してもらえないか」そんな問い合わせでした。
【今思うこと】
人は部品交換すれば治る機械ではありません。生活習慣や価値観は人それぞれです。身体はそういった影響を受け、さまざまな筋バランスや動き方の癖を身につけています。症状は結果的に起こっていることで、原因は多岐にわたります。
筋骨格系ストレスは身体と脳が相互に問題を起こしていることも少なくなく、脳に原因があるのかそれとも筋肉や関節に原因があるのかの比率は人それぞれであると考えています。
身体の患部だけを見ていてもうまくいかない、脳だけ考えていてもスッキリしないということです。心が動けば体が動く、体が動けば心が動く。すなわち生活環境文化背景もふくめてアプローチしていくリハビリテーションの概念を重要視しています。
これからも、一人ひとりの方とのご縁を大切にしながら、パーソナルケアを実践し、さらには企業の健康経営のお役にも立てるように頑張ってまいりたいと思います。
いつも支えてくれる妻、愛らしい二人の息子たち、家族や友人に感謝し、今という時間を踏みしめて歩んでいきたいと思います。